2010年9月12日日曜日

海外文学ファンはたった3000人?

twitterで白水社さんから面白いリンクが回ってきました。
豊崎由美さんのエッセイ「豊﨑由美「全国3000人の海外文学ファンを代表して トヨザキ社長が提案!“ガイブン仲間"を増やすには?」

海外文学への情熱を語り、また海外文学がなぜ敬遠されるかを分析した豊崎さんのこのエッセイの、締めに衝撃的な文があります。

以前、文芸誌の仕事で、各社のガイブン担当編集者に取材をしたことがあります。その時、皆さん口を揃えていたのが「海外文学読者のコア層は三千人」という現状認識


えっ、3000人?

ということは、海外文学ファン全員が手に取るような話題本でも、初版二千部、売れて千部増刷って感じでしょうか(笑)実際にはほぼ全員に売れる話題本なんてまずないでしょうから…

考えてみたら私自身は海外文学を読まないわけではないけれども、でも「コア層」では決してないですね。好きな作家や映画化された作品を中心に年に10冊くらいかも…ってひょっとしてコアどころか普通以下の読者なのでは(汗)

このエッセイで推測されている、海外文学が嫌いな原因のひとつ「圧倒的に多いのが「名前が覚えられない」、これ、私も覚えられない派です。でもこの性格ゆえ、覚えられなくても”なんとなく(フィーリングともいう)”で読み切ってしまえる、これはいい加減さのたまものですねー。直近の記事のあの本も「へルシャーム、みたいな感じ」で全部読みきってしまい申した。映画の予告編のHailshamという字を見てやっとわかりました。やっぱりカタカナじゃダメね(そういう問題なのか!?)

「知らないところが舞台になってるから、雰囲気がよくわからないし共感もできない」という理由の方は確かに、聞くと悲しくなってくるなぁ。文章では細かい部分まではわからなかったりするけど、それ以上に、絶対に一生行かないような場所の景色が繰り広げされるんだもの。安価で旅行しているようなもんだと思うけれど。マルケスなんて読んで御覧なさいよ。

あと個人的に思うのは、やはり外国に関心があり更に外国語に関心がある人々は、海外文学の翻訳を通り越して原文で読んでしまう事。私、某語学サイトに登録しているのでわかります、語学熱心なみなさまの原文熱は素晴らしい!私のように読むスピード効率から、わざわざ日本から翻訳を取り寄せて読んでいるヘタレなんて肩身が狭くてしょうがありません。
そのあたりを考えると、言語学習者が少ない地域の文学または付け焼き刃では歯が立たない大長編小説、みたいなのでなければ翻訳を手に取る機会が減ってしまうのかもしれませんねぇ。

ところでこのエッセイで一番ニヤニヤしたのは

わたしが二十代以降に出合ったたくさんの海外文学の傑作に匹敵する小説を書ける、もしくは書く可能性を持つ現存作家が、日本に一体何人いるんでしょうか(あくまでも当社比ですが、今数えてみたら十八人いました)

数えちゃうんだ!しかも18人もいましたか(爆)
正直でいいなぁ。
個人的には、海外文学が売れなければ翻訳も、それもマイナーな作家であればあるほど、減ってしまいます。また読んだ事のある小説をまた再読したくなったときに絶版、ていうのが一番悲しい。そうならないためにも、若い方に沢山読んでもらえるようになるといいですね。私なぞはミュージシャンの人が薦めたり歌詞に混ぜた(たとえば「ジョニーは戦場へ行った」ですよ)本を読んだりしていましたけど、今の若いミュージシャンたち自身もあまり読んでいないのでしょうか?まず若向きの音楽をしらないのでご存知でしたら情報ください。


そして亀山先生の「悪霊」が出てしまいました。悪霊みんなでゲットだぜ(イミフ)

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